EXHIBITIONS

更新に憑く

可塑的(plastique)な無人島

2010年9月11日(土)〜10月10日(日)
休館日:月曜日

小林耕二郎 酒井一有 庄司朝美 神宮巨樹 鷹野健 田中智美 谷美桜里 久村卓 前野智彦 三田健志 村田峰紀

アキバタマビ21第3回展は、多摩美術大学の版画専攻、彫刻専攻、芸術学科の卒業生からなる11名の表現者+2名の哲学者により行われる展覧会です。「更新」という出来事の「潜在性」をテーマとして、彫刻、写真、絵画ほか多様な作品が展示される空間となります。


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「更新」とは、"死んでいる"とされる状態(仮死状態)から、"生きている"とされる状態に戻すこと、古くなったものや利用価値を失ったものに与えられる処方箋であり、形象、機能、記憶を失いつつある状態が、別様・別名に変身しながら再開しようとする一連の運動である。そこには複数の可能世界からの干渉と、それが生み出す亡霊が捏造され、取り憑いている。


「更新」は時に違和をもって立ち現れる。それは場所性の断絶や、強制的な変形、変身、非歴史的身振り=忘却、新たに捏造された固有名詞=別名に由来する。そこでは形象、機能、記憶を失いつつある状態への処方箋として「更新」が要請されるのではなく、更新それ自体に形象、機能、記憶を失わせ=過去のも のに変形させる契機と、そのものを残滓へと書き換える契機が従属している。換言すると、「更新」には「解離」の契機が内在している。


解離をその条件とする想像力は、あらゆる関係が真なるものとして決定的に固まることがなく、誤って組み替えられうる=別様であるかもしれない状態へと自らを複数化させ、再開=更新を夢に見る。
「更新に憑く」と題する本展は、秋葉原にある旧中学校を更新することで始動した3331内の一画(旧教室/旧廊下/旧図書館)アキバタマビ21で問う「更新」という出来事の「潜在性」を、11人の表現者+2人の哲学者により「更新するもの、変身、変形してしまうもの」への応答可能性として共現前化、 現動化する試みである。


多様な仕方で行われる「更新」を通して立ち現れるもの。それは、一所に留まりながら、そこに住まい直し続けることにより始動するここではないどこかへの移動可能性であり、そこに内在したままで行われる異なるものへの生成変化であり、別名と化した変異体への新たな通信手段である。
更新とは、かつてあったそのもの自体からの「隔絶」を通過して行われる「再開」の異名であり、これらは無人島の原因と理由に深く関わる。


「大陸から遠く離れて無人島へ...」

出品作家プロフィール

久村 卓

HISAMURA Taku

フォト

フィールドワーク
表層の更新 残滓に寄り添う

リノベーション=更新は、"死んでいる"とされる状態(仮死状態)から、"生きている"とされる状態に戻すこと、古くなったものや利用価値を失ったものに与えられる処方箋として機能する。それは、すでにあるものを微細に観察すること、そこにある残滓を「注視」することから出発する。それがリノベーション=更新の目的であり、そこに内在していたシステムを読み取り、保存しながら別な方向付けを見出し、再起動させることにある。そこには物質により生まれる主体性の出現があり、リノベーションはこの受動的な主体性を根拠に展開する。
物質により生まれる主体性は、一面の白い壁に二つの窓を作り出す。窓としてくり抜かれた壁の残滓は、机としての機能を与えられ使用される。それは窓を通して、かつて差し込んでいた運動体としての光と、かつて眺められていた景色を恣意的な仕方(複数の穴から差し込む光、景色もまた日々更新することが恣意的であることを証明する)で取り戻し、再起動させることに終始する。光景を取り戻し、日々の更新を微細化すよう加工=更新されたれた壁は、期間中に塞がれ、自らの更新性をそこに留め続ける。


小林 耕二郎

KOBAYASHI Kojiro


フォト

彫刻
可塑的な烏の更新性「烏と蝋と網の準ー安定状態」

鳥捕網と蜜蝋、可塑的な二項の素材。それらが単数、或いは複数の烏を覆っている。と同時に、複数にして単数の烏がそれらに内在している。烏と鳥捕網と蜜蝋は、「形を受け取ること」と「形を与えること」を止揚して、時にうねる蛇として現れ、ときに人体の機能を援用する。鳥捕網と蜜蝋が形象を受け与えられた烏を可塑的な烏へと変貌させる。
これらの複合体は準--安定状態にある個体に取り憑いた可能性の亡霊を知覚させ、個体化したものを可塑的な次元へと誘う。単数、或いは複数の烏に絡まり纏わり付く鳥捕網と蜜蝋は、烏に纏わる様々な確定記述の塵を取り払う身振りで失わせつつ、別様な烏の確定記述を可能性として量産する。網に絡まり捕獲され、蜜蝋で緩く固められ、身動きがとれなくなった烏は、「単数の身体」と「群れとしての身体」に絡まりついた網と蜜蝋を、「自らの身体」或いは「群れとしての身体」の一部と化し(網の朱色と蜜蝋の微かな黄身は、生物の身体内部を盗用し、そこに走るネットワークの可塑性を形成する)、「複数にして単数の身体」を持つ理念的な烏を更新し続ける。


神宮 巨樹

JINGU Ooki


フォト

写真
更新の風景写真 ランドスケープ

表層を更新するため白い布に覆われた構造物。それを時間と共に捉えるため開け放たれた一つの目は、時間を縮約することで奇妙な風景を練り上げる。
風を可視化する身振りで留まることなく揺らぎ続ける更新のベールは、圧縮された時間のなかで、垂直に伸びる構造物を、発光体へと変身させ、更新する風景を光画として共現前化する。
いたる所で構造物は過去の記憶を失いつつ、未来の兆候に開かれるただ中に投げ込まれる。フィジカルなものとして個体化した構造物の潜在性を形成するメタフィジカルな複数の可能性は、白いベールに隠蔽されることによって想起される想像力に補完される。更新のベールが光画で共現前として露呈するものは、R=100%G=100%B=100%の収光レンズが生み出す白であり、全ての色の可能性を内包した想像力の多様態である。


鷹野 健

TAKANO Takeshi


フォト

絵画
発熱 ー身体的更新の症候ー

発熱とは時に身体がその内部に混入した異物と絡み合いながら、別の身体へと変身する更新の症候として発せられる。
身体の隠喩として用いられる素材=白い石膏は、自ら発熱し凝固する。そしてそこに混入する流動的な色彩=異物は、気泡=更なる異物の混入により所々が欠如しながら別様に変身することを折り込んだ不安定なプログラミングのプロセスを経て、かろうじてそれとわかる身体を色彩として留めている。それは無意識の探求から遠く離れた流動態の更新におけるデカルコマニーであり、モデルから自立しつつも、それとの表層関係を完全に無化はしない形態として、発熱する身体を別な仕方で経験し直す作業となる。
発熱を自らの身体的更新の症候として捉えること。それは、外部との出会いを更新の契機とし、その契機に対して更なる出来事を取り込みながらこの身体を別のそれへと飛躍させることを可能にする。
別のなにものかに変身する途上で発熱する(可塑的な更新における能動的な変身の運動と受動的な変身の運動を止揚させ続けている)身体=可塑的な複数の素材が引き起こす出来事は、症候を別様な仕方で登録し準--安定状態を記述したカルテとして蓄積される。


庄司 朝美

SHOJI Asami


フォト

版画
日々更新されることで変化しない通路

開館と共に設置される凍った水の入ったペットボトルは閉館後冷凍庫に戻される。この行為は毎日反復される。ペットボトルは会場の熱を内面化しながら解凍するただ中で周囲の水分を収集し、集められた水が紙をたわませる。
紙をたわませる場は、廊下という一つの通路、或いは水路である。そこを経て、或いはそれを運動体として一枚の紙が更新される。
通路に置れた6つのスピーカーからは微量の音が漏れている。それぞれのスピーカーからは低音や高音、L、R、に分割された音が漏れているが、その音は、各地でペットボトルに採取した流水(場所や成分、速度の異なる水)の音を一つの音へ一端集めるかたちで、組み替えられたものである。複数集められた流水の音は一つの時間軸に一端束ねられた後、6つの各音域=各水路に分岐することで、別様な流水音として再組織化=更新され、溢れ出る。
通路を舞台に展開する日々反復されるものの身振りは、分化した音とともに統一性を欠いた拠り所のなさと、通路が促す移動を強いる。日々変わり続けることにより、変わらないものとして維持される強度の世界。それは一つの連続した運動体としての水路によって経験される。


三田 健志

MITA Takeshi


フォト

digital print
地図ー更新される鳥の眼差しー

紙と鉛筆を持ち、方位自身を片手にある場所に行き、その場を真上から捉えた風景を想像し、地図を描くように記述する。それは地を這う蛇が、空飛ぶ鳥の眼差しを想像のなかで模倣するような経験を可能にする。
鳥の眼差しは自らの身体を置き去りにし、身体に根ざした蛇の眼差しは不可視な眼差しを創りあげる。空と地の眼差しの往還=垂直的認識と水平的認識が交差するなかで、ある一つの場所を捉えるという行為は、あたりまえに自己を複数化し、多重化させ、複雑化させる。
地図の歴史は文字のそれよりも古いといわれる。土地と地図の往還、蛇の眼差しと鳥の眼差しの往還は、身体に根ざした眼差しが知覚する世界と、脱人称的な記述からなる世界を並列させ、多重化する「今の、ここ」を生じさせる、もっとも原初的な運動の一つである。身体に根ざした=蛇の眼差しが、絵画的な想像力で鳥の眼差しを探り始めたその時から、もう一つの眼差しによって更新された世界が記述され、地図は物語を更新し、物語は地図を更新した。
膨大なデータから引き出され、紙面に写し取られた「鳥の眼差し」は、折りたたまれ、裏返されながら歪んでいくただ中で虚構を孕み地表を変形させていく。そして、再度二次元へと加工されることで現実の複写から遠く離れ、デジタルデータの可塑性と、更新をその前提として書き換えられ続ける地図の特性により、イミテーションとシミュレーションが複雑に折り込まれた「鳥の眼差し」を、新たな「鳥の眼差し」へと更新させる。
それは、一方で記号の集積として更新され、他方で現実の表象として更新される。


酒井 一有

SAKAI Ichiyu


フォト

小説
ガンブラー(ブログと更新の問題圏)責任なき応答可能性

Gumblarとは、2009年5月から急激に感染が拡大したコンピュータウイルスの一種である。Gumblarは感染したコンピュータの管理するWebサイトを改ざんし、感染用のJavaScriptコードを仕掛ける。このコードはAdobe ReaderやFlash Playerの脆弱性を利用したもので、これらを最新版に更新していないユーザは、サイトを閲覧することにより感染する。
Gumblarは感染したコンピュータのネットワーク通信を監視し、そのユーザがFTPを用いてどこかのWebサイトを管理している場合、そのパスワードを盗み出してWebサイトを改ざんし、感染用のコードを埋め込む。また、感染したコンピュータのWebブラウザの挙動を操り、Googleの検索結果に悪意あるサイトへのリンクなどを表示させる。外部から操作できるような仕掛け(バックドア)も埋め込まれてしまう。
(ネットから引用)
わたしの生まれて育ったところ


前野 智彦

MAENO Tomohiko


フォト

Installation
更新 オンタイム

二つの場所に解離し、偏在することで現前化するinstallationは同じものの異なる地図を更新する。
指針を失い振れ続ける方位磁針。異なるリズムで接続と切断を反復する複数の電流により派生する、飛び交う複数の磁場。いかようにも組み替え可能な鉄パイプシステムによって示される可塑性。様々なものが入出を反復し、移動を欲する折り畳み式のコンテナボックス。異なる倍率を有するレンズにより複数化する視点。仮設を標榜するシート。倒錯的に更新を獲得しようとする白いペンキ。これら非等質的で分割可能な複数のものが、互いを模倣しあう形で多重化し、偏在しながら配列される。
一方のそれは、島(その条件は、大潮満潮時に海面上に残る丘で、地図[陸図]に記される領土)としては登録されないもの=潜在的なプラトーとしての無人島(地図[陸図]に記されない島々=来るべきに留まる領土)を援用し、派生的に、創造的に、隔絶=解離と共に限定的に再開=更新する。これらは所与の形象、機能、記憶を否認し、いったん宙づりにした上で、リビングデッドの変異体として別の仕方で経験しなおすことにより、「妄想のカタストロフが生み出す解離の先」=隔絶した場所での再開=更新を夢にみて、待つことを更新し続ける地図となる。


田中 智美

TANAKA Satomi


フォト

映像
秘密=私を更新する箱

「このことは何処にも洩らしてはならない」この語りの中には奇妙な魅力を持つ秘密の共有と共に、困難な命令が内包されている。
命令の内容とは「秘密の内容と、それを共有していることからの解離=忘却の素振りを演じろ」ということであるのだが、その中心には「その秘密の内容とそれに伴う契約を絶対に忘れてはならない=解離の禁止=忘却の禁止」がある。
秘密の共有による困難な命令を内面化した彼/彼女は、自らがそれを決して忘れないように、秘密を密閉された箱そのものへと更新し、「秘密の中心部にある脅迫」により立ち現れる主体性を形成し始める。
壁に掛けられた4つのモニタ。そこに流れる映像は、ミステリードラマのネタ、或いはベタなカットの援用を通じて、箱が主役を演じるサスペンスを展開する。そしてそれは梱包されることにより、秘密の更なる変形作業=更新となり、箱により立ち現れた主体性の痕跡を示しはじめる。


谷 美桜里

TANI Miori


フォト

ドローイング
睡眠によりアップデートされる私

一つのドローイングを枕に記し、裏返し入眠。起床とともに入眠前に記したドローイングを丁寧に思い出しながら描く。それは複数の欠落した記述(記憶の欠けた部分)と、付け加えられた複数の記述(記憶の捏造)が混在した「身体性を伴う記憶による更新の記録」となる。
表裏にイメージが定着した「複数の枕」に付されたサイン=署名と日付けは恣意的であり、遡り捏造される事柄に関わる。
入眠前のドローイングはそれだけではただの落書きや、色彩の戯れのようなものに過ぎず、他者(起床後の自己も含め)に何のメッセージも残していない。入眠前のドローイングは起床後それを反復することで描かれるドローイングにより初めて意味づけが行われる。
二つの身体を伴う二つの記述(睡眠前と睡眠後=枕の表裏)は、署名と日付けを睡眠のアリバイとし、第一(入眠前)の記述を必要とする同一性を捏造することで睡眠によりアップデートされる事柄についての諸々を語り始める。


村田 峰紀

MURATA Mineki


フォト

パフォーマンス
「ノーコメント」背中に憑く倒錯的な更新性

自らの背中に色彩を走らせる「背中で語る」と題されたパフォーマンス。それは決して伝ええないもの、或いは理不尽な苛立ち、伝えるべきものがあらかじめ断絶されていること自体の表明と形容される。
パフォーマーは、自ら背中で語られたそれらを、界面活性剤の泡にまみれたブラックボックス(自らの背中同様、直視することのできないもの)のなかに放り込み、懸命に洗濯する=更新しようと試みる。
パフォーマンスと共に現前化する日常的な営みのひとつであるはずの洗濯という衣服を更新させる習慣は、伝えられなさ、苛立ち、断絶を、失わせつつ、孤独のうちに倒錯的に推し進められる。と同時にそれは、自らに取り憑いた、伝えることの困難、苛立ち、断絶を「ノーコメント」として徹底して「語る」新たな行為遂行となる。
感受性と陶酔から現れてくるものに特有の、予言的な力。それは、身体を駆使して別の何物かに変身しつつ変身させることと深く関わる。そのことを立証するかのように、自らが洗濯機械の一部となり更新させたシャツを纏い、背中に盲目的なドローイング=色彩を再度走らせる。「ノーコメントを倒錯的に語る」パフォーマーは、その反復行為=終わりなき更新が懸命であればあるほど「滑稽なまでに崇高なヒーロー」となる。

関連イベント

●オープニングパーティー
 日時:9月11日(土)18:00〜21:00

●シンポジウム「更新に憑く」可塑的な無人島
 日時:10月3日(日)17:00〜
 パネリスト:國分功一郎・千葉雅也

●村田峰紀によるパフォーマンス「ノーコメント」背中に憑く倒錯的な更新性
 日時:9月11日(土)17:00〜/10月3日(日)16:00〜

PHOTOS

INFO

開場時間 12:00〜19:00(金・土は20:00まで)
休場日 火曜日
入場料 無料
アドレス 〒101-0021
東京都千代田区外神田6-11-14 3331 Arts Chiyoda 201・202
TEL/FAX 03-5812-4558
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